| キャロル 燃えつきる ラストライブ 1975 |
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近頃、真剣に悩むことがある。感性が老いてしまったのではないかと不安で仕方ない。近年の音楽やTVドラマに何も感じない、思わない。思うとすれば、そこに表現されているものに対して、あえて表現する必要などないのではないか、と疑うぐらいである。私の心が終わってしまったのか、作品に魅力がないのか分からない。大いなる期待を込めてCDを買い、ブラウン管の広末ちゃんを見つめるのだが、やはり「う〜ん」である。こんなことがつづくとやる気も失せる。元気もなくなる。ピンクフロイドや「北の国から」でしか活力を見出せない自分が虚しくなる。 「おおっ、ワシは過去にしか生きれん!」 「ああ、そうですよ、そうですとも! ワシにはわかりゃあしません。モンパチがどうとか、月9がどうとか、そんなもんどうでもええわい! 携帯メールが打てんからってなーんも損しとらんぞ! 屁でもないわ!」 人間、開き直ると残るのは寂しさしかない。そして明らかに心は違う方向へ向き、新たな道を行くしかなくなる。衰退と嘆くか、成長と諦めるか。どちらにしてもやるせない。 バンド解散→ソロデビューの図式には虚しさがつきまとう。どれだけカッコイイ文句を並び立てても大概のアーティストは、引退しておけばよかったのではないかと思わせる程度の結果しか見せてくれない。新たな道を切り拓いたのではなく、新たな道へ逃げたのがバレバレである。 例外の代表。 矢沢永吉である。リーゼントに革ジャン。日本語と英語のチャンポン。キャロルは新しい発見を生み出す魔法のようなバンドであったが、その解散は「捨てられた」ように映る。成りあがり人生の序章は本編第一幕のために用意された切り離しロケットのようだ。解散ライブにまとわりつく切なさのかけらもない。次の一頁が見えているからだろう、矢沢永吉は熱い。その熱は30年近く経つ今もなおつづいている。矢沢永吉の成りあがりという著書は老うことなく、常に次の頁へ進むのだ。 元気がほしい。 新しい頁から得る活力を生きる力に変えたい。探せばどこにでもあるはずだ。要は得る気があるかないかだ。 「おおっ、そういえば広末ちゃんの新ドラマがはじまるではないか! ミポリンの月9もビデオに録っておったわい!」 私は諦めが悪いので有名である。 |
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| PETER GABRIEL SO 1986 |
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阪神が好きだから巨人が嫌いなのではない。野球が好きだから巨人が嫌いだ。本来、野球は楽しい。ボールを投げて打つ、走る。捕って投げる。それだけのことなのだが実際にやってみると、とてもおもしろい。観ているだけでも充分である。しかし巨人の野球はつまらない。実力を持った凄い選手が、実力通りに凄いプレーを披露する。勝ってあたり前のチームが、あたり前のように勝つ。完成済みのドラマを模倣することが究極のプロフェッショナルのスタイルならば、いずれ野球もインディーズ化するかもしれない。野球ファンは本物のメイクドラマが観たいのだ。視聴率を取るのに筋書きはいらない。 松井秀喜のホームランにはいつも度肝を抜かれる。この日本一のスラッガーが放つ一発は、好き嫌いに関係なく観る者すべての心を鷲づかみにする。驚異的スピードで振り下ろされるバット、叩き潰されるボール、目にも止まらぬ速さの打球、TVカメラが捕らえたときは大概スタンドインしている。この一瞬の出来事が観たくて私はTVの前に座る。年間50回のゴジラ襲来。それは86回の巨人の勝利より見応えがある。 松井は三冠を逃したが、最後まで自身の姿勢を崩さなかった。結果としての三冠王には執念を燃やしたが、それ以上に執着したのが松井秀喜という一野球人の在り方であった。来場したファンのために全打席ホームランを狙う、フルイニングフル出場するなど、結果以外の部分にこだわった。それで三冠を獲れれば良かったのだが、逃したからといって松井秀喜の価値が損なわれるものではない。より偉人の域に近付いたようにさえ思える。 己の姿勢に誇りを持てない人間は退くべきである。 逃げるくせに強がる人間。避けるくせに戦うと息巻く人間。向上心がない人間。諦める人間。守ることしか出来ない人間。政治でも芸術でもスポーツでも同様である。我が国にはプロフェッショナル精神に欠けたプロが多すぎる。一度、整理すべきだ。 音楽家。 あんたらはどんな風に我々の度肝を抜いてくれるのだ。ピーター・ガブリエルの新作を聴いたか? 未だに度肝を抜いてくれるぞ。「So」は16年も前のアルバムだ。これ、聴いてみろ。自分が恥ずかしく思えないか。 |
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| エディ藩 BLUE JADE 1982 |
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かつてBLUESの多くは苦悩や絶望を即効的に歌い世に広められた。ただ音楽は進化する。感覚に呼び起こされた衝動、欲望までもが旋律を伴ってひとり歩きをはじめた。私がBLUESと出会ったとき、それはとてつもなく大きな存在に成長していた。あらゆる感情を呑み込んだ心の叫び。私はBLUESをそう認識する。 大阪は街そのものがBLUESだ。人の首根っこを捕まえ、引きずり倒してでも、己の心中を伝えようとする性根。それらが織り成す泥臭い人間模様がなぜか愛しく思えてならないのは、私の関西人気質が芽をもたげるからではない。見知らぬ誰かの心の奥底に響く叫びが何故か引っかかるからだ。他人の心に土足で踏み込む・・・それは違う。あのコテコテの人種にはとなりの見知らぬ人物は他人ではないのだ、きっと。 「悲しい色やね」を歌う上田正樹をTVで観るたびに思ったこと・・・このシンガーは歌い慣れたはずのその曲を決して同じようには歌わない。「悲しい色やね」を題材にして何かを模索している。感情という味付けによって、BLUESは様々な表情を見せる。音と音の間を自由に飛び回る歌はレイ・チャールズのようであり、喉から血を流しても叫び続ける姿はボブ・ディランのようだった。どちらにも言えるのは人々の心を鷲づかむように歌えるシンガーであるということ。即ち最高のBLUESシンガーだ。上田正樹が何を求め、いつまで叫び続けるのか分からないが、完成された大阪ベイ・ブルースをいつか聴いてみたい。 大阪というディープな街に向き合えるのは横浜しかない。よく東京に対する大阪という図式が用いられるが、あれは大阪人の負けず嫌いがもたらした対抗意識以外の何物でもない。大阪のコテコテぶりに立ち向かえるドライな感覚があり、タフでハードな空気が漂う横浜こそが、大阪と相対すべき街である。 横浜にもBLUESの名曲がある。 叫ばずにはいられない歌があり、熱く切ない表情が美しすぎる男達が思い浮かぶ。 エディ藩。松田優作。原田芳雄。藤竜也。竹田和夫・・・。 名前を連ねればそれだけで十分かもしれない。あと一杯のアルコールと煙草の煙があれば。 |
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| PINK FLOYD ANIMALS 1977 |
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87年に復活したギルモア・フロイドは実に愉快なバンドだった。ロジャー・ウォーターズがフロイドというフィルターを通して完成させた主体性を片っ端から叩き壊し、フロイドのような演奏集団に「ピンク・フロイド」と命名してしまった。音と光の一大スペクタルはサーカスのように楽しいショーであった。四方八方からネズミの足音や波風やらのSEが流れ、巨大な豚が飛び、ジェット機が爆発し、ミラーボールが細胞のように分裂する。私はスクリーンの映像やレーザー光線が描く光の芸術を見るのに精一杯で、舞台のフロイドを見る余裕などなかった。1度きりの余興ならそれで良かったのだが、ギルモア・フロイドは次のアルバムも製作し、ツアーまでやってしまった。LIVE
ALBUMには電球を付け点滅させた。まるで小学館学習雑誌の付録のように愉快で笑えた。ロジャー・ウォーターズが作りあげたピンク・フロイドは汚されるだけ汚されて、愉快な怪物バンド以外の何物でもなくなっていった。 空飛ぶ豚。 一見ユーモラスだが実に冷笑的なその表現が後にフロイドの象徴となってしまった77年のアルバム「アニマルズ」のジャケット。ギルモアはこのアルバムの曲は演奏しないが、とにもかくにもといった風に豚は飛ばす。ただロジャーの主体性を失ってからは場違いな印象だけが残る。1度も腕立て伏せのできないブヨブヨの肥満体がオリンピック・スタジアムのトラックを走っているようなものだ。ロジャーは豚は飛ばさずとも、曲は演奏する。この後、「THE WALL」へとつづくフロイドの歴史の中で、重要すぎるほどに重要な作品であることは明白である。「ANIMALS」があったから「THE WALL」へ進めたのだろう。「THE WALL」がロジャー・ウォーターズという人間の仕事だという見方をすれば、この作品はロジャー・フロイドの終焉を飾る1枚ということになる。ギルモア・フロイドを見れば見るほど、そう思いたくなるのは私だけではあるまい。 一粒の欠片さえ逃したくなくなるような隙のない音。現代社会の矛盾と人間の性を訴える辛辣な歌詞。それらを抽象的に描いたジャケット。寸分の狂いもなく進む物語は緊張感に満ち、極上の衝撃として大脳を刺激する。名作とはそういうものだ。フロイドに笑いはいらない。 |
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| BANGLES EVERYTHING 1988 |
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40周年と老後について語る猿ギターと舎弟ギター 弟「兄貴、40周年でっせ!」 猿「よっしゃ、派手に行ったるでぃ! ベストを出してツアーをやって金儲け、ポンッ!」 弟「また、帳尻合わせっスね」 猿「シャラーップ! 新米のペーペーはこれやからいややねん。ベジネスっちゅうのが分かっとらんのじゃ!」 弟「でも『鋼鉄車輪』以来、企画盤の方が多いっス」 猿「なーんも問題はない」 弟「ベストに入れた新曲がまたショボイっス。どうせボツ袋からかき集めてきたんちゃいますのん?」 猿「昔、長島は空振りで魅せる選手と言われたんや」 弟「おおっ、兄貴、日本人みたいなこと言うやないっスか」 猿「猪木はコーナーで出番を待つ姿が美しかったんや」 弟「アンタ何人や!」 猿「とにかくなーんも心配あらへん」 弟「しかしワシらもそのうち定年でっせ」 猿「ピザ屋をやろう!」 弟「じゃ、ワシはクレープ屋っスか?」 猿「泣くな。ほんならおどれはバングルズに行け、ワシはGO-GO'Sに行く」 弟「あっ、いいかも」 猿「だてに40年やっとらんわ、ガッハッハ」 弟「しかしテンポが速すぎてついていけませんで、兄貴!」 猿「ぶわっかもん! タンバリン持ってアー言うときゃいいねん! 何とかなるわい」 弟「ほんま、アンタぎょーさんネタ持っとるわ」 猿「40年のキャリアがなせるワザやね」 弟「でもチャリ爺がずっとこっちを睨んでまっせ」 猿「妬いとるな」 弟「ほんまにワシらこんなことでいいんスか?」 猿「構わん。ベジネスや」 昔、音楽雑誌でキースがバングルズと肩を組んで歩いている写真を見た。幸せいっぱいのキースの笑顔があまりにも怖くて驚いた記憶がある。 |
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| スピッツ 空の飛び方 1994 |
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夢から醒めたときにやるせなさが残るのは、その夢があまりにも現実離れしたものだからに違いない。空を飛んだり、ブロードウェイで踊ったりといった夢は見たことがないが、優香タンや広末ちゃんが登場したことはある。ボブ・サップと闘ったこともある。アホだ、ガキだ、と周りに罵られても、見てしまったものは仕方ない。半分くらい責任があるかもしれないが、私の知ったこっちゃない。そんなことよりも瑞々しい夢の名残りを引きずって、生活を始めなければならないことの方が問題である。見てしまった夢を悔やむことほど厳しい目覚めはない。 ただ私は夢の中でどこへも行かない。如何なる非現実のオンパレードにおいても、私の存在する世界は「ここ」であって、ここ以外の「どこか」ではない。「こちら側」の夢が「向こう側」の幻想に変わることもない。実につまらん。退屈極まりない。なぜなのだろう。もう私は実生活において、どこかへ流れゆくことがないのだろうか。求めてもいないのだろうか。そう考えると私の見る夢など現実色に染まった、何の変哲もない物語なのではないかと思える。夢の中でぐらい馬鹿みたいに飛んでもいいじゃないか。 人間はどこかで飛んだ方がいい。 この社会を生き抜くために空を飛ぶ必要はないだろう。意識を飛ばす理由もない。それでも人間はどこかで飛んだ方がいいのだ。「ここ」から「どこか」へ飛び立つために必要な翼は誰しもの心の中にあるだろうし、「向こう側」から「こちら側」に戻ってくる理由など未来を覗けば簡単に見つかる。あーだ、こーだ、と文句をたれるより飛ぶべきだ。舞い戻ってきたとき世界はそんなに酷いものじゃないように思えるかもしれない。目覚めのやるせなさも今日の活力に変わるかもしれない。少なくとも可能性はある。飛ばないよりかは。 ただ優香タンや広末ちゃんと、どうかなることはない。 ボブ・サップにも勝てない。たぶん。 |
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| IAN McNABB HEAD LIKE A ROCK 1994 |
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車を運転するようになって、ほとんど利用することがなくなってしまったが、私は京阪電車が大好きであった。京阪電車とは文字通り京都と大阪を結ぶ私鉄線であり、恐ろしく駅数が多い。短いところでは区間数百メートル。今思えば日ノ岡駅なんて必要だったのだろうかと思ってしまうし、守口近辺など串刺しだんごのように駅が連なっている。 かつて嫌になるぐらい利用したであろう「くるり」が歌ったことで、やや認知。アルバムの裏ジャケは深草駅である。年末になると「初詣は京阪電車!」などというTV-CMまで流されたほどである。 その京阪電車こそ、かつて私が最も利用した交通手段であった。 八幡市から橋本、樟葉へとつづく淀川沿いの湾曲した路線に見られる景色が美しい。夕刻の西日に照らされた河川敷の揺れる草木をポカーンと見つめながら、京都から大阪へ向う。いつもウォークマンで音楽を聴いていた。頭の中で何も考えず流れる景色を見つめ、旋律に耳を傾けていると、どんなものも心に沁みるから不思議である。激しさに裏打ちされた切なさや、擦り切れるほどの情念が鼓膜をつんざき、大脳を刺激する。風景が音楽を溶かし、音楽が心をとらえる。あの京阪電車の車両の中で、私はいくつもの名曲を強引に発掘したものだ。 明日、京阪電車に乗るのなら、迷うことなくイアン・マクナブを選ぶ。 元アイシクル・ワークスなんて肩書きは何の意味もない。おお、ニール・ヤングみたいじゃん、と思ったらバックはクレイジーホースだった。リバプールなんたらかんたら、80年代ネオサイケなんたらかんたら、といった形容で訳わからん状態になってしまった男は、やるべきこととやりたいことが混同し、よくあるように消え去るかに思えた。しかし開き直り一発、やったるねん、ぼく、ロックが好きやねん、でこんな名作を作った。 正真正銘の本音を音にするとこうなる。熱く切ない。 これは京阪電車に似合う。車窓から見える夕焼けと、それを照り返す淀川の水面。むせび泣くギターのディストーションと儚げなハーモニカ。旋律は揺れている。他人の背にもたれ、半ば傾きながら通過した九条山のカーブのように、激しく私を揺さぶる。 私は泣いてしまうかもしれない。 |
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| THE CLASH THE CLASH 1977 |
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「CLASHのCDありますか?」ある日、ROCK大好き青年がやってきた。「FUJI
ROCKでジョー・ストラマーっていう人にサインもらったんですけど、よく知らないもんで、ハッハッハッ」 オッチャン、ビックラこきました。キ、キミ、何ゆうとるねん。ジョー・ストラマーって誰やねん、もしかしてジョー・ストラマーのことか! うろたえるオッチャンのことなど気にもとめず、青年は冷静にCDを選んでいる。なんでやねん、なんでそんな涼しい顔しとるねん! オッチャンがジョー・ストラマーに会ったら・・・とりあえず謝る。訳わからんけど、まず土下座でもしといて、2、3滴ちびってしまったことをごまかす。 「これとこれ、どっちがいいっスかねぇ」と青年は尋ねた。そんな問題ではない、とオッチャンは思いつつも高い方を薦めた。「わかりました!」と青年は元気よく答え、安い方を買って帰った。 ROCKをフラスコの中に入れ、熱を加えれば、様々なものに分解される。そこには怒りがあり、喜びがあり、性欲や金欲にまみれた自我や幻想がある。そして叫びが聞こえる。叩きつけるようなギターのカッティングと、闇雲に前へ進もうとする馬鹿正直さを頼りに叫ばれる声。いつしかそれは闘う人間の咆哮というよりも、使命を背負った人間の悲痛な泣き声のように聞こえた。 ROCKは切ない。 ROCKは悲しい。 ROCKは痛々しい。 ジョン・レノンやブルース・スプリングスティーンのSHOUTを耳にするたび、胸が張り裂けそうな気がした。ROCKの住人たちが歩む道の視界など、そんなに開けてはいなかったのだ。それでもスポットライトは光輝き、歓声が響き、音楽が鳴りつづける。 ジョー・ストラマーは負け組の1人だったかもしれない。晩年の不細工な人生を思えばそう感じるし、頑なにとんがりつづけたCLASH時代を振り返れば、なお思う。人間、歳をとればどこかで小ぎれいにまとめようと努力しだすものだが、ジョー・ストラマーは最後までジャケットに写る「かっとんだジョー・ストラマー」そのままだった。世間一般から見れば敗北者である。負け戦に人生を捧げ、敗北への道を全力疾走した男。ダサイ。ダサすぎる。クサイ。クサすぎる。だから最高にカッコイイのだ。 「ボブ・ディランありますか?」その後も青年はよくオッチャンの店を訪れる。お主も罪な奴よのう、とオッチャンは思う。そのROCKという罠は深く謎に満ちた穴なんよ。そう簡単には出られまへんで。しかしオッチャンの心配をよそに、青年は涼しげにCDを買っていく。 2002年12月22日、ジョー・ストラマーが逝ってしまった。 |
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| DRAGON ASH VIVA LA REVOLUTION 1999 |
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私の人生における理想のテーマは「美」である。 仕事や道楽にも美意識をもって関わりたい。外見や表面上の美しさを求めているのではない。本物の「美」とはスタイルではなくスピリチュアル、すなわち精神の輝きや向きである。 目が覚めるほど美味い豆腐を食べたことがある。 味噌汁、湯豆腐、冷奴と、生涯において数え切れぬほど食した豆腐である。美味いものもあれば、そうでないものもあった。あたり前のように口にしてきたがゆえに、もはや格別、印象に残らない感すらあった。しかし考え直させられた。その美味さは魔法のように心を和ませるのである。まぶたの奥に景色を描き、胸の内に安らぎを落とした。その感覚を表現するとき「美味い」という言葉以外浮かばない。そう、「美」に縁取られた食である。ただ私にはその「美」を作り出せない。「美」は技術や努力だけでは完成されない。センスが必要だ。悲しいかな私には料理人のセンスがない。 アーティストは美意識をもって作品を作るべきだ。 昨年、ジャパニーズ・ヒップホップの先駆者と呼ばれている某3人組のアルバムを耳にしたとき愕然とした。真剣なのか笑いをとるためなのか分からぬセンスで、矢継ぎばやに言葉が繰り出される。小学生作文コンクールでもお目にかかれないような稚拙な表現力で語られるリリックと、強引に現代社会の歪みと結びつけては、ハイ、OK、出来ました。これが主張です、と取ってつけたような仕上げ。そして煽りに煽るマスコミ。見ていて恥ずかしくなりました。見ている方が赤面してしまう「スチュワーデス物語」を思い出したりして。 でも何だろう、もう少し本を読めよ、行間を読むのだ。映画を観ろ、フレームの外側を脳裏に描いてみろ。何よりも音楽を聴け、外見や表面上の「美」に惑わされすぎだ。音楽は耳で聴くものではない。心でとらえるものだ。 美を磨け。それが出来ないのなら、やめてしまえ。 対象年齢12才以下の世界から脱却しろ。 ドラゴン・アッシュはヒップホップ畑のボクちゃんたちからパクリ者呼ばわりされた。笑わしてくれる。パクられた方よりパクった方が優れているとは皮肉な話だ。センスだな。「美」の次元が違いすぎる。 ドラゴン・アッシュ。君たちの勝ちだ。 |
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| TORI AMOS LITTLE EARTHQUAKES 1992 |
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「ところで、ハゼドンくん」 「な、なんですか、いきなり。ただでさえ不気味なハゲ面なんですから、驚かせないでくださいよ」 「相談があるんだが・・」 「分かりました、社長! フグです。新年会はてっちりにしましょう」 「アホンダラ!この不景気にそんなもんやらんわい!」 「ほな、さっさとすましてんか、このハゲ、ブツブツ」 「ハゼドンくん、あれを見て何とも思わんか」 「はぁ、ハナモゲラさんが何か?」 「ちーとばかし態度が・・」 「勤務中にカップ麺食べてますね、あっ、左手に競馬新聞、ヒラ社員にしてはなかなか」 「ハナモゲラくんはバイトだよ」 「そういえば昨日も机の上がガシャポンのカプセルだらけでした」 「お茶を入れてくれ、と言ったら、『誰の?』と逆ギレされたんじゃよ」 「ここは社長、一発、かますべきです」 「でも、でも・・」 「何を弱気になってるんです。何だったらカツラをかぶればいいじゃないですか」 「ハゲは気にしとらんわ!」 「なら次期社長の私が!」 「なめとんか、このペーペーが」 「はて?」 「『訴える』と言うんじゃよ」 「訴える? 誰が? 誰を?」 「○×△□・・・」 「えっ? ア、アンタ、まさか!」 「違うんだよ、違うんだよ、ああーっ!」 「しかし、よくも、まあ、あのいかず後家ならぬいけず後家のハナモゲラさんと・・」 「知らん、知らんぞぉ、ワシは。この手が勝手に・・」 「あ、こっち見てる」 「・・・」 「分かりました、社長。後は私にお任せください。立派に我が社を守っていきましょう。ただ、あのマンドリルのような奥さんとぬり壁のような娘さんは知りませんからね」 「ヒィ〜っ、女ってコワイ〜!」 「社長もある意味勇敢です」 「あぅ〜} |
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| ドリーミング それいけ!アンパンマン ドリーミング・ベスト 1994 |
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「アニメソングを大声で歌う会」会長のシャチホコ太郎先生が言うように、近年、正真正銘のアニメソングがめっきり減ってしまった。どこぞの薄っぺらいバンドがタイアップで歌ったり、勇気も元気も出ない小娘の歌声で歌われるアニメの主題歌なんぞ聴きたかぁないわい。 アニメ主題歌と言えば勇気、元気に加えて、哀愁と憂いである。小学生が下校時にアホみたいにデカイ声で歌い、遠足ではクラスのみんなで大合唱。しかしエンディング曲はどこか儚げで、ちょっぴりおセンチな気にさせてくれたりする。 「勇気りんりん」 アンパンマンのエンディング。最後の一行でヒーローの名を叫ぶのはお約束。ドキドキさせるよドキンちゃん、バタバタ走るよバタ子さん、というまるで標語のように規則正しく、しかし愉快な詞。私はチャリンコこぎながら、この曲を歌うのが大好きである。 「妖怪にご用心」 ドロロンえん魔くんのエンディング。変な感じが〜しませんか〜。君が見ているこのテレビ〜。フォーキーなメロディに合わせて、クニャクニャ、ニュキニョキ踊る妖怪がコミカル。しかし、どこかセンチに映るのは妖怪ゆえの悲哀か。作曲・小林亜星。おおっ、さすがパクられたと訴えるだけのことはある。 「バビル2世」 砂煙の中にそびえるバビルの塔が衝撃のオープニング。小学生時代は「ガッチャマン」「デビルマン」らと並んで欠かすことのできない定番ソングであった。 キリがない。やめる。 いい加減にせんと、これだけでひとつのコーナーができる。いや、HPさえ作れてしまう。しかし「大きな古時計」を歌い上げる時代だ。風呂場で歌える歌って、やっぱいいんだよ。 |
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| 森田童子 ぼくたちの失敗 2003 |
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基本的に連ドラはビデオ化されてから、レンタルでまとめて観る。毎週、キッチリTVの前に座っていられるほど暇ではないということもあるが、ビデオの方が集中的に観られて手っ取り早いというのが何よりの理由だ。つまらなければBGVにして流すこともできる。 でも「高校教師」だけは毎週観ようと思った。 森田童子の歌声に導かれた、喪失感に満ちた物語は、私の中のドラマの概念を確実に変えた。どこにも行けないもどかしさと、行くところのない悲しみが、教師と生徒、男と女、現実と幻想、正気と狂気の狭間を激しく行き交う。破滅志向のストーリーと真田&桜井が描く悲しげな「間」がこれまた美しくもあった。 10年ぶりに復活した伝説のドラマ。私の意識から消えたのは、4,5週間ほど前か・・。魅力がない。あの世界は空回りしているように思えたし、説明文のようなセリフによって進行する物語がそれに拍車をかけた。醸し出されるはずの空気が、実態を映しながらブラウン管の隅々へ流れているようだった。 京本政樹が登場する場面だけ落ちついて観ていられたような気がする。 おそらくビデオ化されても私は観ない。 現在の若者の精神年齢は実年齢より10歳若いと言われている。小学生のボクちゃんたちに成人式で大人しく話を聞けというのも無理な話。タメ口しかきけない青年に、中学生なのか大学生なのか見分けられぬ子もいる。闊歩する時代の犠牲者と、開き直る時代の責任者。そこに失われた「時間」のねじが何によって巻かれるのか、人間は考え直さなければならない。変らない僕たちと変れない僕たちは違うのだ。 我々に何かを考えさせる森田童子の歌。 10年周期じゃ物足りない。2,3年に一度はあってもいいんじゃないだろうか。 羽村隆夫と二宮繭はどこかの街で時間を泳いでいるはずだ。 |
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| BOB DYLAN & TOM PETTY TRUE CONFESSIONS (BOOTLEG) 1987 |
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いつの世にも頑固オヤジは必要だ。 例えば「お好み焼きぐらいおのれで焼かんかい、ボケぇ」と客に鉄板を見させておきながら、勝手にひっくり返したものなら、「何さらしとんねん、早いわ、ボケぇ」と怒鳴るオヤジ。自分はTVの阪神戦に夢中だったりして、お好み焼きのことなんざぁすっかり記憶の彼方・・・ハンバーグのように焼け焦げたブツに気付いても非を認めてはいけない。「よっしゃ!」などと言ってみたりする。 何が「よっしゃ!」やねん、真っ黒やんけ、などとほざくのはタブーである。オヤジを見ろ。泣いている。阪神が勝ったのだ。昨日までの連敗など知らん。今日勝った。それでいい。そう思えば、ちょっとばかし黒いお好み焼きも美味く思えるというもんだ。オヤジは自信を持って「ワシの言うことに間違いはない」と笑う。 そんな頑固なお好み焼き屋がこの世には1000人はいる。 10000人ぐらいいるかもしれない。 食が文化として庶民に浸透したのは、そんな頑固オヤジたちの血と汗と涙が無駄に流されなかったからである。まあ、それが無駄になっていたら、客は泣くよな。 80年代、冴えないディランがいた。オッサンは真面目に音楽に取り組んでいなかった。燃えつき症候群。ヘロ〜リ、ヘロ〜リとしたディランにかつての研ぎ澄まされた面影などなかった。スティービー・ワンダーごとき小物に歌唱指導されるオッサン。そんなことを言うアシカも恐い者知らずだが、パンチひとつ返せないオッサンもオッサンだ。以前ならジャイアント・スウィング30回転ののち、鉄柱に顔面叩きつけ10連発の刑である。 そんなディランを見てショックを受けたものだが、オッサンは見事に甦る。 トム・ペティ。 この男の存在は大きかった。我が国では「過小評価の会」役員クラスの不幸なポジションについてはいるが、コヤツは若い頃からできる男であった。わかっている男でもあった。かなりの通でもあり、やばいくらいにオタクでもあった。その懐の深さとキレの良さにオッサンもヘロ〜リとはしていられなかった。それまで頑固のかたまりがハーモニカ吹いているようなオッサンに対して、焼け焦げたお好み焼きを投げ返すアホはそうはいなかった。ペティにそんな意識はなかっただろうが、オッサンが久しぶりに鉢巻をしめて鉄板を見ることになったのは事実だ。 そうしてオッサンは音楽に対して真面目に取り組むようになった。後にデッド爺、ヤング爺らを従えて頑固ぶりを発揮できたのも、このときのトム・ペティとの出会いによるところが大きかったのだと思う。トム・ペティの存在が際立った86年のツアー。言い換えればこれはトム・ペティがもたらした、ディランへの最大のリスペクトでもある。 |
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| GROVER WASHINGTON Jr. WINELIGHT 1980 |
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かつて我が国では子供たちが「ぎぶみぃ〜あちょこれ〜と〜」と拙い英語で訴えながら兵隊さんを追いかけていたことがある。何のことやねん、オッサンと、コンビニ前で地べたに座ってラーメン食べてる君たちは思うかもしれない。そういう時代があったのだ。今や夜中の3時でもチャリンコ転がしてコンビニに向えば、簡単にチョコが食える。見よ、この虫歯だらけの国民を。自慢じゃないが、ワタシなど自前の歯がほとんどない。 とにかくチョコレートという食べ物は君たちの想像を絶するほどに、とんでもなく高価で高貴なものだったのだ。ワタシの時代にはもう兵隊さんを追いかけることはなかった。しかしチョコレートの気高さは薄れることなく、ハナをたらした汚い小僧が食せる代物ではなかった。たとえ金回りが良くても、道で拾っても、チョコレートの気品を失うような行動は許されない。ワタシはスーパーのお菓子売り場では絶対にチョコとは目を合わさないようにしていた。 ただオカンの機嫌がいいとき、ワタシの手にはチョコが握らされた。マーブルチョコやチョコベビーを貧乏臭くチビチビ食べる。極楽気分である。よっちゃんイカや味カレーとは違う気高さがそこにはあった。しかし慣れとは恐ろしいものである。いつしかワタシは、あれほどまでに避けていたチョコの棚を凝視する愚かな小僧になっていた。 ああ、グリコアーモンドチョコが食べたい。左右両方向にスライドする外箱が欲しい。○○ちゃんのように筆箱代わりに使ってみたい。明治ミルクチョコが食べたい。内側の薄い銀紙をむしりとり、夢の「板チョコ丸かじり」を体験してみたい。森永ハイクラウンが食べたい。高級感あふれる豪華なケース。酔わせてくれる。罰があたってもいいから、チョコに酔いたい。チョコを斜め上45度から齧る自分に酔いしれたい。おお〜。 身分不相応だと知りながらチョコレートを夢見た時代があったのだ。その夢は罠のようでもあった。酔いしれるのはチョコの甘さにではなく、チョコを食べる己に・・いや、チョコを食べられる己の大きさにである。 分かる? 分かんねぇだろうなぁ。 貧相なロック少年がグローバー・ワシントン・Jrあたりを聴いて「いいじゃん」なんてほざくようなものとでも言えばよいか。 |
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| 小山卓治 種 2003 |
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小山卓治との出会いがなければ、音楽との関わりは今とは大きく異なっていただろう。それなりの流行音楽をそれなりに聴いて楽しむ。音楽は私の中で趣味娯楽の一部として消化されていったはずだ。決して仕事や生活の一部として接することなどなかったと言える。 おかげ様でずいぶんと耳は肥えた。 発掘する喜びや楽しみも味わった。 ただ小山卓治がヒットチャートを賑わしたり、音楽界に影響を与える存在になっていたら、もっと楽しかったかもしれない。そんな姿などまったく想像できないところが、また彼らしいといえば彼らしいのだが。 デビュー20周年を記念して小山卓治は新作を出した。 もう20年も経つのか・・・ふと感慨にふける。 1984年5月12日。京都教育文化センター。私にとって初めての小山卓治LIVEは、彼の急病により中止となった。翌月の大阪公演に振り替えるか、チケット代金を払い戻すかの選択を迫られた。まだまだ空席が目立つ大阪公演の座席表を示す受付のお姉さんの渋い顔を見ていると、とても払い戻しを希望する勇気はなかった。 そう、あれから20年近くの歳月が流れたのだ。 驚いたことにまだ小山卓治は歌っている。その歌声に耳を傾ける私も相変わらずだ。 たんぽぽの種は空を飛び 小さな庭に花を咲かせた 花は歌う 小さな声で 笑って、さあ笑って、と 優れた作品は数あれど、ここまで人間の心の動きを表したアルバムはそうはない。 生き延びた男の懐の深さと解釈すればよいのか。剥き出しの心はあまりにも清らかだ。かつて私の心を突き刺した男の言葉とは思えぬ、優しさと温もりに満ちた言葉が美しいメロディーとともに流れてくる。 生き延びることだけを目指した20年ではなかったはずだ。 死にきれずに20年を過ごしたわけでもないだろう。 ただ小山卓治は確実に「ここ」にたどり着いた。今、私の耳に歌いかける男は小山卓治以外の何者でもない。そんな男がバラ蒔いた新しい種がどのような花を咲かせるのか・・・それが知りたくて、また私は性懲りもなく会場に足を運ぶのだ。 |
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